Miksang
平安神宮・岡崎公園・天授庵
ダイレクトに知覚するという経験は、自分と自分以外という分け隔てがなくなった時に起こる。それ はまるで空間が空間に、赤が赤に、心が心に出会うようなものだ。降ったばかりの雪が朝一番の 光に照らされて光り輝くように、まっさらな状態での知覚は私たちの意識の中に突然どこからともな く出現する。このように見るということは、優雅な出会い、洗練されたダンスのように感じられることだろう。 ――マイケル・ウッド(著書 Greaceful Appearanceより引用)
– Michael Wood, Graceful Appearance
現存する最古の写真は、200 年も昔にフランスの発明家ニセフォー ル·ニエプスが、自身のシャトーの窓から景色を写したものである。 それは、我々が今日目にする、わざとらしく作り込まれた画像と は全く異なるものである。写真は、何かを説明する、売る、情報 を提供する手段として、私たちの世界の見方、そして自分自身の 見方に、これまでにない影響力を発揮するものとなった。
Miksang contemplative photography は、その根本に「知覚」 についての仏教の考え方があり、フォトグラフィーの基本的な考 え方に真っ向から抗うためのアプローチとして、40 年近く前にマ イケル·ウッドとジュリー·デボーズによって生みだされた。あら ゆる意図や構成、目的をひとまず度外視し、見ることに焦点を 合わせ、その瞬間に存在する世界を直に経験することに心を注ぐ。 Miksang という名前はチベット語の「良い目」を意味する単語 からきている。いつも急かされているような状態から抜け出すこ とで、日々に潜む美しさの新鮮で直接的な気づき、生々しくリア ルな瞬間との相互的な関わりへの道を拓いていくのである。
2017年に京都で開かれたワークショップのインタビューで、ウッ ドとデボーズは Kyoto Journal に対し、「Miksang の根底に あるのは、今ここにいること、そしてそれを認識すること。普通 のことが特別であると気づくことです。」と語った。
この哲学は、 Kyoto Journal の創刊編集者であるジョン·アイナーセンの、 過去15年の写真活動にも深い影響を及ぼしている。







