チェイシング・ザ・ドラゴン
「人間が世界に対してどのような価値ある貢献をしたかを撮影したいと思った。庭園は、その手始めとしてふさわしい場所のように思えた。」
Gardens seemed like a good place to begin.
米国コロラド州、ボルダーを拠点とした写真家のウィリアム・コーリーは、1974年から2007年にかけてほぼ毎年京都を訪れ、京都の伝統的な庭園を600枚以上のカラーネガで撮影した。彼は野外撮影用に改造したコロナの大型8×20インチ・ビューカメラを使用した。この重く扱いにくい機材は、20世紀初頭に宴会で大人数の横型写真を撮るために使われていたが、コーリーにとっては庭園の広がりをパノラマで捉えるのに理想的なツールだった。
ビューカメラは、写真家に卓越した微調整と適応性を提供する。熟練した写真家であれば、遠近感の調整を垂直・水平方向の両方で行うことができ、また、焦点面をコントロールすることで、前景から背景まで完璧なシャープネスを実現できる。コーリーは、徹底したこだわりを持って撮影に臨んだ。彼は事前準備として数週間にわたり定期的に庭園を訪れ、一日を通して光がどのように変化するかを研究し、最適な瞬間を見極めた。著書 『A Passing Shadow』 の中で、彼は全てがあるべき場所に収まった時に、まるで何かがシャッターを切れと囁くような、ほぼ神秘的とも言える体験について語っている。
2006年4月、コーリーは特殊な癌と診断された。手術によって一命を取り留めたものの、体は衰弱してしまった。しかし、妻であり助手でもある足立怜未と医師たちは、再び京都に戻り写真を撮るように彼を励ました。やっと日本に戻ってこれたとき、コーリーは「ここまで来たのに、写真を撮ることができないかもしれない」と絶望していた様子を怜未は振り返る。しかし、詩仙堂を再訪すると、彼は目の輝きを取り戻したそうだ。その後、彼は2か月間、週に3回庭園を訪れ、この一枚のために準備を重ね、柱や石の配置を細かく検討しながら構図を練った。病を患ったことで、彼は「被写体により深く向き合い、表面的な風景の奥にあるものを見る」ようになったそうだ。そして、2006年12月4日の朝、この写真は撮影された。

2008年に亡くなるまで、コーリーは写真機材の限界に挑み続けた。彼はNASAのエンジニアの協力を得て、世界で唯一の縦型タイプの20×8 インチカメラを特注製作した。彼の作品アーカイブは、マサチューセッツ大学アマースト校のW.E.B. デュボイス図書館に所蔵されている。また、彼の作品は世界中で鑑賞されており、1994年に天皇皇后両陛下がコロラド州を訪問された際には、コーリーが撮影したロッキー山脈国立公園の大型パノラマ写真がコロラド州から献上された。